“極上の癒やし”は畑にあった。「アグリヒーリング」でストレスだらけの日常を乗り切ろう
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ストレス過多の現代社会。職場でも学校でも、もしかしたらご家庭でも、イライラ・モヤモヤの連続…という方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんなご時世にあって、「農業でストレスを解消しよう」という画期的な試みがあります。
順天堂大学大学院医学研究科緩和医療学研究室が研究を進める「アグリヒーリング」は、土と触れ合い、農作業を経験することによって癒やしを得ようという考え方です。では、具体的にそれはどんなものなのか。どのように活用されるものなのか。研究チームのみなさんに話を聞いてきました。
Text:TSUCHILL編集部
土いじりや農作業には、絶対的なリラックス効果がある?
「農作業を通じて、精神的な癒やしを得る」それが、アグリヒーリングの目指すところ。2017年ごろからこの分野の研究を続けている順天堂大学大学院の水嶋章郎教授は、「アグリヒーリングは、昔からよく知られている『園芸療法』よりも幅広い概念で、かつ明確なストレス軽減のプログラムになりそうだ」と言います。
「花の栽培などを通じて、心の安定を図ったりするのが園芸療法ですが、アグリヒーリングは花や野菜などの作物を育てること、あるいは自然そのものを体感することでストレスが軽減するという考え方です。そこに付随するあらゆる作業がヒーリング効果をもたらすという意味で、より網羅性の高い概念だと言えそうです」(水嶋先生)
水嶋先生たちの研究・調査の結果、土に触れ、野菜などを育てると、ストレスによって増加するコルチゾールやクロモグラニンAといったホルモンやタンパク質が抑制され、逆に「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンが、活発に放出されることがわかりました。
また、その効果は、農作業を終えて帰宅してからもある程度持続されるようで、定期的に繰り返し農作業を行うことで、ストレスの軽減、幸福感の増大は続いていくとも予想されます。
研究室メンバーの山口琢児先生は、「アグリヒーリングでは、五感のすべてを刺激することが、癒やしの効果につながっている」と言います。
「細かく言えば、畑の除草から、土づくり、植え付け、さらに、育った作物を収穫し、それを食べることまで。
そのひとつひとつが、人間の感覚機能を刺激してくれます。作物を育てるという充実感だけでなく、いつもとは違う自然豊かな場所で作業する開放感や、音、匂い、そういったものが総合的に作用していると考えられます。
音楽鑑賞やアロマテラピーで得られる癒やしの効果も、アグリヒーリングには内包されているということですね」(山口先生)
農作業によって得られたさまざまな刺激は、脳の大脳皮質を通して大脳辺縁系から視床下部へ伝わり、そこから末梢組織のほうに下がっていく。その過程で、ストレスを軽減するホルモンや、幸福感を上げるホルモンが分泌されるというのが、研究チームの見解です。
趣味として、家庭菜園をはじめとする土いじりを楽しむ人は増加傾向にありますが、そこに「癒やし」の効能を見出し、周知させることができれば、より有効性の高い活動として注目されそうです。
被験者の「唾液」からエビデンスを獲得。より緻密な実証研究へ
アグリヒーリングが注目を集める背景には、具体的でたしかな裏付けがあります。
「従来の園芸療法の効果測定は、アンケート調査でのみ行われるケースがほとんどでした。アンケートのみであれば、サンプル数が増やしやすい一方で、被験者の主観に左右されますし、正確性に欠けるところがあります。
採血によって血中のホルモン値を調べる方法もありますが、これは人体にストレスをかけてしまう手法ですから、ストレス検査には向かない。私たちが測定するのは「唾液」です。
その成分を検査し、オキシトシンやコルチゾールの値を計ります。もちろん、アンケート調査もプラスして行い、いろいろなデータを集めて検証するというやり方を採用しています」(水嶋先生)
実際にフィールドに出て一連の測定に立ち会う胡愛玲先生は、被験者が体験する作業には実にさまざまなものがあり、日常的に農作業に関わる人、そうでない人の両方に、ヒーリング効果をもたらしていると見ています。ただ、農作業を経験する人には多様なバックグラウンドがあることを踏まえることも大切だと言います。
「たとえば、土いじりは好きだけど虫が苦手だとか、花粉症なので長時間屋外にいたくないとか、何らかの要因が結果としてストレスにつながる可能性もあります。そう考えると、癒やしを導く作業について、場合分けも必要になってきますね。
今のところ、植え付けから収穫までの一貫した継続調査はしていませんので、今後は個別の作業で得られる効果と、通年の作業で得られる効果も比較していきたいと思います」(胡先生)
農業体験は睡眠障害の改善に最適。うつ病の予防にも有効
水嶋先生は、この研究の最終的な目的は、「ひとつの学問体系を作り、人々に還元すること」だと言います。現段階でもすでに、アグリヒーリングのシステムをサービスとして、あるいはビジネスとして、社会に組み込んでいくという試みは始まっています。
「日本中にある体験農園とリンクして、ヒーリングのための農業体験の場を提供したり、企業と連動してワーケーションや社内研修、福利厚生に活用してもらったりと、多様な方法で社会実装をしようとしています。
ストレス解消という意味では、医療や福祉の分野との連携も可能ですから、高齢者介護や終末期ケアとも組み合わせられそうです」(水嶋先生)
アグリヒーリングの本質を考えれば、個人レベルでの「農業体験」も、ストレス解消に大いに役立ちます。
プランターを使って野菜を育てたり、庭の片隅に家庭菜園を作ったり。農業体験がパッケージングされた観光ツアーに参加するのもありかもしれません。ちょっとした気分転換はもちろん、蓄積した精神的疲労から解放されるための手段としても活用できそうです。
山口先生は、「メンタルを平穏に保つ効果を考えると、うつ病の予防にも有効かもしれない」と、その可能性の広がりを見据えています。また、「特にアグリヒーリングを体験してほしい人」について、
「まず思い浮かぶのは、睡眠障害にお悩みの方でしょうか。癒やし効果に加えて、体を動かすことによる適度な疲労感もありますから、よい睡眠がとれるのではないかと期待しています。
家族介護と向き合っている人にも有効です。介護する側もされる側も、ストレスに苛まれやすい立場と言えます。アグリヒーリングを経験することで、双方のメンタルの安定が望めそうです」(山口先生)
ただし、「まだやるべきこと、実証すべきことはたくさんある」という水嶋先生の言葉通り、アグリヒーリングの研究は発展途上。これからさらにデータが集まり、分析が進むにつれて、新たな活用法が生まれてくることは間違いありません。
畑で土に触れて心を洗濯。健康な暮らしは健やかな週末農業から
「農」を通じてライフスタイルを豊かにする、という視点から言っても、「アグリヒーリング」は非常に有効なストレス解消方法であることが、おわかりいただけたかと思います。水嶋先生と研究チームの活動から目が離せなくなってきました。
「農作業が癒やしをもたらす」ことは、すでに実証済み。日常的に襲ってくるストレスに悩んでいる人、常に癒やしを求めている人は、ぜひこの週末に、土いじりを体験してみてはいかがでしょうか。
【プロフィール】
水嶋章郎 教授
順天堂大学大学院医学研究科 緩和医療学
1984年3月 順天堂大学医学部卒業
1990年3月 順天堂大学大学院医学研究科修了 博士(医学)
緩和医療認定医、麻酔科専門医、ペインクリニック専門医
産業医、健康スポーツ医
山口琢児 非常勤講師
順天堂大学大学院医学研究科 漢方先端臨床医学、緩和医療学
1983年3月 北陸大学薬学部卒業
1985年3月 北陸大学大学院薬学研究科修士課程修了
2008年3月 金沢大学大学院医学系研究科循環医科学専攻医薬情報統御学修了
博士(医薬学)、薬剤師
胡 愛玲 非常勤助手・協力研究員
順天堂大学大学院医学研究科 漢方先端臨床医学、緩和医療学
2010年3月 上武大学経営情報学部経営情報学科卒業