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農村で生きる意味を噛みしめながら、憧れの田舎暮らしを満喫する毎日

「農」のある暮らしを実践する人々にフォーカスする『農動的スタイル』は、趣味として、あるいは仕事や日常の一部として土いじりを楽しむファッションモデルのみなさんのライフスタイルをご紹介。

農作業へのこだわり、作業着へのこだわり、そして、「農」から始まったモノ・コト・トキ・イミを、自由に語っていただきます。

シリーズ第二回にご登場いただくのは古山憲正さん。農村に移住して居を構え、畑仕事とモデル業を両立するそのライフスタイルを追いました。

Photo:木村武司/Text:溝口敏正

畑仕事に、キャンプ場の運営に。田舎暮らしは忙しい

古山憲正さんは、八ヶ岳や日本アルプスに囲まれた山間の街に住み、モデル業と並行して「農」のある日常を体現しています。

福島県出身の古山さんにとって、現在の居住地である山梨県北杜市はまったくゆかりのない土地でしたが、今は生まれ故郷のようにも感じているようです。

早起きし、自宅の畑で野菜を育てつつ、週に一度のペースで近隣の農家でも働くという、まさに、“土まみれ”の毎日。

都市の喧騒と、自然豊かな田舎の静けさの間を行き来しながら、古山さんは豊かな生き方について思いを巡らせています。

「自分の畑では、ジャガイモやサツマイモ、ナスにトマトなど、いろいろな野菜を育てています。ハーブ類もありますね。今はまだ農家と言えるほどの規模ではないのですが、いずれは人を雇って規模を大きくできればと思っています」

「もともと着るものには無頓着だったのですが、最近は、農作業の時でもちゃんとしたものを着ようと思っています。服飾学校出身の妻の影響かもしれませんね」(古山さん)/キャップ(スノーピーク)シャツ、パンツ(KEIMEN)

北杜市での古山さんの活動は、農作業だけにとどまりません。自宅近くにあった廃校を活用して、キャンプ場として再利用。

古山さんは代表を務め、自然の中で暮らし、その環境を楽しむことの魅力を発信しています。

「キャンプ場の名前は『0(ゼロ)site』といいます。プラスでもマイナスでもない、“ゼロ”の状態に立ち立ち還っていく場になればいいなと思って名付けました。

使われなくなった小学校の分校をセルフリノベーションして、レンタルスペースとしてご利用いただける施設も作りました。お迎えするお客様は、1日ひと組限定。ワークショップなども含めたさまざまなアウトドア体験も用意しています」

”死生観”を考えるうちに、「農」の大切さに気付いた若き日

高校時代、俳優としていくつかの映像作品に参加。その一方で、バックパッカーとして世界を駆け巡るというアクティブな一面も持ち合わせていた古山さん。

かつて移民としてブラジルに渡った曾祖父母のお墓参りを兼ねて、南米を縦断したこともあります。そんな奔放な生活を謳歌していた時期、古山さんは、「農」のある暮らしの礎となる、いくつかの体験をしたといいます。

「作業用のベストやエプロンは、畑に出る時の”制服”のようなものだと思っています。実際、着るとスイッチが入る気がしますね」(古山さん)/ベスト(スノーピーク)グローブ(KEIMEN)

「ひとつは、父親が亡くなったことですね。期せずして死生観のようなものと向き合うことになって。どうして人間は病気になるのか、なぜ死ぬのか、ということを考え始めました。

結果、人間の根本を作っている要素という意味で、“食”に興味を持ったんです。それが今、畑仕事をして野菜を作ることに繋がっています。

また、同じ頃、イスラエルに『キブツ』と呼ばれる農村コミュニティがあることを知り、それを見るために、7カ月ほど現地に住んだことがあるんですが、この経験も、『農業』に興味が湧いたきっかけだと思います」

キブツとは、イスラエルという国のベースになった、共同農業を中心として生活を営む集落のことで、形を変えながら今でも国内に点在しているそうです。

その中に飛び込み、作物を収穫する仕事などをこなした古山さんは、自らの意思と力で「食」を生み出し、人生を営むというライフスタイルのイメージを固めていきました。

「その後も、イギリスやデンマークに渡り、エコビレッジと呼ばれるようなコミュニティに身を置き、その生活様式や日常を目の当たりにしました。

帰国後は、しばらく地元の福島で、耕作放棄地を農地にとして活用するプロジェクトに携わりました。そんな折、縁あって北杜市に移ることになりまして。

ただ、最初は本格的に農家になろうとか、キャンプ場をやろうとか、明確な目的があったわけではないんです」

思い立ったらすぐ畑へ。農作業は、日常生活の一部となった

日本の農村で農業を学びたい。そんな思いで北杜市に移住した古山さんは、風情のある廃小学校にひと目惚れし、キャンプ場として蘇らせるプランを思い立ちます。

すぐに住民にプレゼンし、一度は反対されながらも、なんとかオープンにこぎつけました。

現在は地元農家でアルバイトをしながら、キャンプ場の運営を手掛け、農村で生きていくための知識を蓄えています。

「ちょっとした農作業やキャンプ場の仕事をする際は、さっと履けるスニーカータイプのシューズも重宝しています」(古山さん)/シューズ(ムーンスター)

「少量多品目で野菜を栽培している農家さんで働くことで、野菜のニーズや流通のしくみを含めたいろいろなことを学んでいます。

農作業の大変さも、ですね。それ以外にも、山で必要なことは何でもしています。自分の畑での作業や、キャンプ場の整備、薪割り…いつも本当に泥まみれになってます(笑)」

昔ながらの「農村の暮らし」を全身で体感している古山さんは、「モデルとしての日々と農作業に、境界はありません」と笑います。

子どもを保育園に送った帰り道、通りかかった自分の畑の雑草が伸びすぎていたり、人間が管理しないとむずかしい状態であれば即座に車を降りて農作業の時間になります。それが、本当の意味で「農」のある暮らし、というものなのでしょう。

「エプロンは染色家でもある妻の手製です。使い込むごとに色も褪せていきますが、それは僕が作業してきた軌跡でもあるので、その変化も大切にしたいと思っています」(古山さん)

「いつ畑に行ってもいいように、普段から動きやすい服を着ていますね。農作業の時の服装は、汚れることを前提に選んでいます。妻が染色家なので、汚れの目立たない色に染めてもらったりもするんです。

強いこだわりのようなものはないけれど、自分らしさは出したいと思っています。

それに、地域の人たちやキャンプ場のお客さんと触れ合うこともあるので、そこは意識してちゃんとしたものを着るようにしています」

生まれ故郷にいるような、快適で穏やかな毎日がそこにある

農村に居を構え、そこで快適に暮らしていくためには、住民との信頼関係が大切だと語る古山さん。

「僕は“アウトサイダー”でしたから。おそらく最初は、『どんな奴なんだろう』という目で見られていたと思いますよ。ちゃんと庭の草むしりをしてるか、みたいなことも含めて(笑)。

でも、積極的にコミュニケーションを取って、生活スタイルを合わせていけば、きちんと受け入れてくれます。今は何の不自由もないですね」

バックパッカーとして世界中の街で現地の人々と接してきた柔軟性と積極性、そして、天性の人懐っこさもあってか、現在の古山さんは、年配の人が多く住む限界集落に違和感なく溶け込んでいます。

「これからはモデルとしての仕事も、積極的にこなしていきたいですね」と意気込みつつ、軸足は家族とともに暮らす北杜市に置き続けます。

集落の寄り合いに参加し、畑仕事に精を出し、地元の人々との交流も忘れません。筋金入りの“農村の若者”は、今日も土と戯れています。

<プロフィール>
古山憲正
福島県出身。高校時代からバックパッカーとして東南アジアや南米を巡り、異国文化を吸収。2021年より山梨県北杜市の山村部へ移住し、廃校を活用したプライベートキャンプ場「0(ゼロ)site」、レンタルスペースを運営。染色家でもある妻とともに「空◯蝉」の屋号を掲げ、周辺の里山で採れた草木を用いた衣類の染め直し、自家焙煎珈琲の販売、各種ワークショップなども手掛ける。現在、1児の父。

古山さんのインスタグラム https://www.instagram.com/kensei.furuyama


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溝口敏正

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